Twitterで毎日のように、死ネタがどうとか地雷がどうとか繊細ヤクザがどうとか話題になってますよね。

確かに「そんなの知らんわ…」って言いたくなるような要求はあったりします。
具体的に上げるとカドが立つのでアプリレビューの似たようなケースを上げると、海外の個人が制作した英語のみ対応のアプリに「日本語版がないので★1です」ってつけるような感じの。
説明文も全部英語なんだから文句言うなよ…っていうようなケースはもちろん、あります。

でも最近言われる二次創作の「死ネタ」が嫌われがちな理由は、多分、そういうものではないんだろうな…というのが長年ウェブで個人の書いた小説を読んできた上での感想です。
それに対して「死ネタでも面白い作品がある」「ネタバレは嫌だ」って反論する気持ちも理由もわかるけど、これは話してる部分が違っていて平行線なので、この話がかみ合わない理由について解説します。

長いので、面倒な人は太文字のところと最後の「まとめ」だけ読むといいと思う。



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■死ネタというのは主に「二次創作」における用語

まず「死ネタ」という単語の表すものについて。
死ネタ、つまりキャラクターが死ぬネタです。シンプルな区分ですね。

でもシンプル過ぎるがゆえに荒れるんですよね…。
「オリジナルだったらそんなこと書かないだろう!」とか。

そうなんですよ、オリジナルではあまり使わないんです。死ネタって用語。
私が初めて見たのは女性向の二次創作同人サイトでした。
ボーイズラブ系はそこから出てきている部分もあるかと思うので、まだ使うかと思うんですが…たとえば少女小説とかライトノベルの分野ではまず見ません。

なので「『死ネタ』の注意書き」についての話が流れてきたとき、オリジナル系の作品を作っている人が反論する必要はあんまりないんじゃないのかな。もちろん反論は自由ですが、少なくとも「死ネタ」はオリジナルの人が死ぬ作品を指さないという暗黙の了解を踏まえないとアレッ? てことになると思うんですよ。

この話題が荒れる原因って、こういう「古くからある同人の世界の暗黙の了解」から来る説明不足の部分が多いと思うんですよね。
でも私もこんなもんいちいち説明する必要があるのか…と思うくらいには当たり前のものとしてなじんでいるので、説明しようって人があんまり出ないのもわかる。

インターネットが普及して異文化交流が頻繁に起こるようになった弊害なんでしょうね。
ただここでははっきりと「『死ネタ』は同人用語」ってことにして話を進めるので、特別の補足がない限りは死ネタというのは二次創作の話をしていると思ってください。

またここでいう「同人」は女性向、特に原作キャラ同士をカップリングさせる作品や原作キャラ同士のみで描かれる作品のことだと思ってください。

私はあんまり男性向ジャンルには詳しくありませんし、ROをはじめとしたキャラメイク系ジャンルがいわゆる“アニパロやおい系”とは違う文化であることは知っているし、ドリーム小説に関しては名前変換がある小説くらいの認識しかないので言及できません。
なのであくまで「私が知っている範囲の、現在の同人誌即売会などで多数を占めているアニパロやおい系の流れをくむ同人と、そこに隣接する形で存在している男女CP系同人」についての話なので、上記にあるようなところを持ち出して「ここでは違う」とかやらないでくださいね。そこの話はしてません。
あと乙女ゲーム系同人の話もしていません。仕事に隣接しすぎているのもありますが、ジャンルとしてキャラクター×ヒロインであることが当たり前で他と雰囲気が違うというのが理由です。

※こういう注意書きをしないといけないのは確かに「繊細ヤクザうざいな」って言いたくなるので「死ネタに注意書きをしろ」と言われるのがうざい気持ちはよくわかります。
※でも異文化交流がある以上、「わかるでしょ?」が通じないのは仕方がないとも思います。同人って言うと確かに男性向も女性向も全部含むし、女性向=やおいではないし、やおい系であってもROやFFTやドラクエはちょっと雰囲気が違うし、全部一緒くたにはできないし、全部知ってる人は少ないでしょ?
これに関して棲み分けは自由で云々って言ってる人が文句を言うのは「ブーメラン乙」って話でしかないと思います。 嫌ならブラウザバックじゃなかったの? この記事からもブラウザバックしてね。


■死ネタにも色々な種類がある

さて、二次創作における死ネタですが。
これは本当に幅が広いんですよね。

たとえば「ボーイズラブ」っていうのは“男同士が恋愛しているという傾向の創作物”というくくりなので、その中にはただエロいことしてるだけの作品、恋愛の中にセックスがある作品、セックスしてるらしい言及はあるけど作中に描写はない作品、まったく性的要素のない作品、まで色々あるのはわかると思います。

「死ネタ」も“作中でキャラクターが死ぬ作品の総称”なので、不治の病に犯されたキャラクターが最後に死ぬ…という感動物語もあれば、作中でキャラクターが惨殺されるスプラッター系のもの、キャラクターが死んでいるところから物語が始まるものなど色々とあるわけです。
それを全部「死ネタ」としてくくって、まとめて論じてしまうのは無理があります。最初から最後までセックスしてるだけのボーイズラブと、手も握らない告白もしないまま進むボーイズラブを一緒くたにして語るくらい意味がないので。

これまで見てきた中での話なので片寄りもあるかと思いますが、二次創作における「死ネタ」は多分、ざっくりとわけてこんな感じです。
  1. 不治の病に犯されたキャラクターが死ぬなどの展開が予想できる悲恋的ネタ
  2. バトロワパロやダンガンロンパパロなどの題材からして誰かが死ぬ展開であることが分かるネタ
  3. ミステリー作品的な意味合いで誰かが被害者になったりして死ぬネタ
  4. 原作で病んでいる設定のキャラが自殺・心中するネタ
  5. 作中でカップル描写されている二人が今生では結ばれないと世をはかなんで心中するネタ
  6. 交通事故などで突然キャラクターが死ぬネタ
  7. 既に特定のキャラクターが死んでいるという設定で周囲の反応などを描くネタ
  8. 結末付近で突如として事故・病気などが判明してキャラクターが死ぬネタ
  9. 原作で病んでいない設定のキャラを病んだ設定にして自殺・心中させるネタ
1~5辺りを書いている人が「ネタバレを書けって言うのか!」というのは気持ちはわかるし、6~9辺りを読まされた人が「死ネタだって最初に書け!」と文句を言う気持ちもわかります。

見る限り、ネットの議論だとみんな想定してる死ネタがこのくらい違うのに殴り合ってるので不毛なんですよね。多分その話はしてないんじゃない? みたいなことも多々ありますし。
特に6~9みたいなものについては、プロならあまりやらないよなーっていうのもわかるので、最初から「そういうものがあると想定してない」のもあるんだろうなー…ということで、期待と予想の話です。



■創作における“期待”と“予想”の話

「読者の予想は裏切るべきだけど、期待は裏切るべきじゃない」 

これはもう誰が言い出したのかわからないくらい、創作の話として言われてますよね。

たとえば、とある家電が掃除機みたいな外見をしていたら、普通は掃除機のような機能があることを期待しますよね?
でもそれがフタが開いて回転のこぎりが出てくるマシーンだったりしたら「話しが違う!!」って言いたくなるじゃないですか。
ホラーだったらそういうのも面白いですけど、それはあくまでこれはホラー作品だという前提があるから面白いのであって、彼に胸キュンしてる少女マンガでヒロインの部屋にある掃除機から突然回転のこぎりが生えたら驚くし、ふざけるのは止めてくれって思うのではないでしょうか?

そんな感じで、物語を受け止める側は「こういうものを読みたい」っていう期待を抱いて本を開くわけです。
そこまで具体的な期待じゃなくても、たとえばスレイヤーズだったら「この表紙の女の子が活躍する話に違いない」って思いますよね。

▼ちなみにスレイヤーズの主人公リナ=インバース

当時のスレイヤーズ! 1巻の表紙は、リナが手を前に突き出して魔法を放っているシーンでした。
それまで児童書のファンタジー作品(「はてしない物語 」や「ゲド戦記」のようなもの)を読んでいた小学生の私は、表紙にマンガみたいな絵が入っている本があることに衝撃を受けているところだったので「きっとこの本もそういう感じの、面白い冒険の世界が描かれている本に違いない!」と思って手に取ったんですね。

もし、そこで表紙に描いてある女の子が全く出てこない話だったり、表紙からは想像もできないようなスプラッターホラーだったりしたら… 読者的には何だこの本はって怒りたくもなると思います。
そういうのは読者の予想を裏切ることではなく、読者の期待を裏切ることだからです。

その意味では、女性向の二次創作において、死ネタはだいたい読者の期待を裏切ります。
二次創作ってだいたいが「原作のあのキャラとあのキャラが好き!」が前提なんですよね。
だからその好きなキャラを見て楽しみたい。が原動力なので、そこで期待を裏切るような死ネタにたどり着くと「ええー…」ってなってしまう、という…。


■キャラクターの死=物語の終わりであるということ


キャラクターが死ぬことっていうのは、だいたいの創作物において一番大きい悲劇です。
キャラクターが死んでしまったら、そのキャラクターの物語はそこで終わりですよね。読者はその物語の終わりに対しての納得を求めてしまうわけです。
で、だいたいが納得もいかなくて期待も裏切られてなので、文句のひとつも出てきてしまう、という話なんです。

これはプロの作品でもそうなんですけど…
あまりにもあまりな結末だったりすると「ふざけんなよ」って思ったりしませんか?
私は結構あります。こんなふざけた結末にOK出したのは誰だよ!! そいつを出せ!!(゚皿゚メ)  くらいの気持ちになることもあります。
だいたいが知り合いと飲みの席で本の話で盛り上がったりしたときに、こんな本があってさあ…って話題にして終わりますが。でも私が「この本の結末が酷い」でよく話題にする作品の話は「自分もそう思う…」「わかる…」ってすごく盛り上がるので、多分これは私だけじゃないんだと思うんですよ。

でも、趣味で作ってるものにそういうこと言われたくないですよね?
趣味の作品だから拙かったりするし。
細かいことはいいんだよって思って書いてたりするし。
場合によっては超絶ニッチな特殊嗜好とか書いてたりするし。

だから最初に「死ネタ」って書こう、それなら文句も言われないし文句を言って来たら「注意書きを読め」って言い返せるよね!

こういうことだと思います。
「趣味で書いているものだから自分や同じ趣味を持つ人間の期待に応えることしか考えていません!」って最初に宣言することで摩擦を避けましょうね~って…。

同人の世界では、商業の世界みたいに表紙やレーベルで内容が想像できたりしないんですよ。
むしろ「こういう傾向が多いもの」で想像すると同人作品はだいたい男同士で恋愛してて、最後には幸せになって終わるんです。大勢がそういうものを想像しているからこそ「そうじゃないもの」は期待を裏切られたって気持ちになられないように予防線を張る必要があるっていうことなんですよね。

読んだものの感想を口にすること自体は誰にでもある権利なので、そこに制限をかける(=マナーとして否定的な意見は口にしないようにしよう…とする)のであれば、表紙の時点でわかるようにしておこうっていうのが注意書き文化です。

商業作品は貶そうとなんだろうと自由ですよね。
それはお金を取っているからではなくて、感想を表現するのは自由だからです。 



■嫌ならブラウザバックしろ

嫌ならブラウザバックしろは、従来は「好みのカップリングじゃなかった」「絵が下手だった」「面白くなかった」などのどうしようもない感想をもらったときに返すものでした。
個人サイトには作品の傾向や作者の考え、スタンスが細々と書いてあったりしましたし、場合によっては「ここから先には●●な表現があります」とクッションページを挟んだりもしていました。

それを今では作者側が「自分の嗜好が気に食わないならブラウザバックしろ」ってすごいなーと思います。
昔は自サイトでそういうことを言っている管理人がいたら「うわあ…」って扱いだったんですよね。 
やおいサイトはいきなりメニューページに行くんじゃなく、最初にバナー+注意書きだけのページがあったりしたくらいです。

言いたくなる気持ちはよくわかります。
私だって趣味でやってるものについて、読む価値がないとかヘタレだとかプロのくせにとかもっと一般ウケするものを書けとか言われたら「…嫌ならブラウザバックして欲しい…」 ってなりますよ。
でもそれは嫌ならブラウザバックできる材料を提示しているからであって(…最後の一つは。前3つはプロアマ問わず本人にぶつけるのは論外だと思うし)全部を「エロ01」とか「乙女01」なんていうタイトルで作品DLが即始まるような形で公開してたら文句を言われるのは仕方ないなーと思ったと思うんですよね。

最近の死ネタ議論はそういう「作品の立ち位置/自分のしている対策/相手の意見が妥当かどうか」 の前提がバラバラで行われているので、まずはそこを整理しないことにはどうにもならないのでは? と、思います。


■まとめ

話しがあっちこっちしたので箇条書きでまとめておきます。
  • 「死ネタ」は主に二次創作でキャラが死ぬ話を指す同人用語でオリジナルについてはあまり言わない
  • 「死ネタ」には幅があるので好かれる死ネタ・嫌われる死ネタ・人を選ぶ死ネタがある
  • だいたいの場合、否定的な意見を言われるのは「読者の期待を裏切る」から
  • 読者は予想を裏切られると喜ぶことが多いが、期待を裏切られると怒る
  • 読者の期待を裏切った場合でも、文句や否定的な意見を直接浴びないために作者が行う自衛が“注意書き”
  • 「嫌ならブラウザバック」は上記のような自衛を行った上で口にされるものだった(今はそうとも限らないように見えるのでよくないと思う)
  • 死ネタや注意書きの議論をするなら「具体的な作品/自分のしている対策/相手の意見が妥当かどうか」 を具体的に示さないと話にならないと思う