表現規制の話をしている人たちがずっと「フィクションは現実に影響を与えない」と言っているのに違和感がありました。

本当にフィクションは現実に影響を与えないのかと考えたときに、自分がこれまでに漫画や小説、ドラマや映画に憧れてきたことを思い出すからです。
漫画だったりドラマだったりを見たときに、主人公の職業だったり生き方だったりに憧れたりすることってないですか?

よく、フィクションを取りざたすときには少年ジャンプに乗っているような現実にはありえないことを描いた漫画やファンタジー系のゲームを例に出す人がいますけど、たとえば漫画やアニメの主人公が自分の危険も顧みずに誰かを助ける描写に感動する人は多いだろうし、自分もあんなふうになりたいと思うことはあるんじゃないでしょうか?
たとえばそれが現実にある職業を描いたフィクションだったら、自分もそういう仕事をするようになりたいと思ったりすることってありませんか?

と、いうのを今日、日本映画専門チャンネルで放送していた「美女か野獣」を見ていて思い出しました。

美女か野獣 DVD-BOX
松嶋菜々子
フジテレビ/アミューズソフトエンタテインメント株式会社
2003-07-25


美女か野獣は2003年にフジテレビ系列で放映された、松嶋菜々子・福山雅治が主演のドラマです。

※ここからネタバレなどもありますので苦手な方はお気をつけて…


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松嶋菜々子の演じる鷹宮真は、アメリカで記者として活躍していたところを日本のテレビ局であるJCBからヘッドハンティングされ、番組の視聴率を上げるようにとニュース番組のプロデューサーに就任します。

そこで同時期にバラエティ制作部からニュース制作部に転属になった永瀬洋海(福山雅治)は、真の学生時代の恋人で、テレビに対する考え方は視聴率至上主義の彼女とは正反対。

そんな二人が対立しながら関係を修復していく――というとまるで恋愛もののように聞こえますが、どちらかというと周りにいる“一見すると視聴率の役には立たないかのように見えるスタッフたちが、自分の心に従った報道をしていくことで真の考えを変えていく”物語でもあります。

たとえば第1話では報道部で一番評価されていない地味な記者・鶴巻が、自分の足で撮影してきた貴重なフクロウの映像がきっかけで他社と差をつけることができますし、第2話ではJCB上層部が自社の都合で揉み消そうとしたサッカーチームの八百長問題をあえて報道することで視聴率を稼ぎ、最終的にはイメージアップにつなげます。

そして第3話ではずっとダメ記者扱いされていた戸渡が、真から視聴率を優先して撮影してくるように厳命されていたにも関わらず、カメラを放り出して事故現場で人命救助に当たり、それがきっかけで事故現場の様子やけが人の様子、家族の映像などをニュースで流して報道大賞を取ったライバル局よりも注目され賞賛を浴びます。

こういうフィクションを見たときに、鶴巻や戸渡のような記者になりたいと憧れを抱くことはありえないことでしょうか?
視聴率至上主義はおかしい、けが人や事故の様子を映すことよりも大事なことがあるはずだと感じることは「ない」のでしょうか?
リアルなできごとでなければ、そうした心の動きは「ない」ものですか?

物語には人の心を動かす力があり、その影響は物語を作る側のモラルにゆだねられている部分もあるのではないでしょうか?

注意書きを施したところで意味がないことも多いと言うのには同意しますし、必ずしも影響を与えるわけではないというのも同意しますが、フィクションは人間の行動や言動に何の影響も与えないというのはあまりにも物語を馬鹿にしているようで受け入れがたいな、と感じます。

もちろんこれは「不謹慎なものを書くな」だとかそういうことではなく、何の影響もないのだから無罪だと主張し続けていくのはあまりにも創作者としてのモラルに欠ける行為なのではないかな、と考えるということです。
(でも、じゃあどうしろって言うんだっていうのは、これから「みんなで」考えていくことだとも思います。規制してなくしていくんじゃなくて、別のアプローチを探っていければもっといいと思う)

ちなみに今回取り上げた「美女か野獣」はフジテレビオンデマンドでも見られます。
あと今ちょうど日本映画専門チャンネルで放映してるので、途中からでもよかったら見てね…!


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